のし紙豆知識

のし紙について

贈答包みの発祥と、のし紙の起源と変遷

贈答の起源は、日本古来の宗教である神道において、神前に供えた奉納品を包んだのが発祥で、神饌物(神様の食べ物)としてお供えの農作物や魚介類を束ねるために、和紙で包み掛けた上から数本の白い紙縒りを束ねたもので丸結び(今でいう結切り)にする形で奉納されていたことに由来します。

現在の「のし紙」の様式の元になったのは、鎌倉~室町時代の頃に、定められた宮中の儀式における礼法(各儀式の作法や奉納贈答様式)に起源があり、その礼法に定められた金品の包み方作法の一つである「反物包み」などが原形となっています。

当時の「反物包み」は、白い和紙で掛け包み、水引の色は慶弔ともに同じ白い水引(一色)を用い、結び方も慶弔ともに同じ丸結び(今でいう結切り)と定められていました。
祝い用と弔い用の区別は、掛け包む紙は弔い包みは「白和紙のみ」を用い、祝い包みは「白和紙の下に赤染め和紙(白和紙より天地がやや大きいサイズのもの)を合わせた二枚合わせ」とし、結びは丸結びにした水引の端を「祝い結び」は上に跳ね上げ、「弔い結び」は下へ垂らす形に定められ、祝いものに限り熨斗鮑を「熨斗包み」にして、結んだ水引に差し挟む形で添えられていました。

江戸時代には武家社会にも慶弔の儀式が執り入れられるようになると、礼法も武家様式が編さんされて新しい贈答習慣が芽生えてくるとともに、慶弔の用途分けは「結ぶ水引の色」により区別するように変化していきます。

明治時代以降に庶民の間にも執り入れられるようになると簡素化が進み、「熨斗鮑」も疑似化された「折り熨斗(現在の金封に付いている熨斗)」へと変化し、大正時代に入ると、印刷の発展とともに更に簡素化されて、現在のような一枚の紙に水引や熨斗がデザイン化され、印刷されたものに変化していきます。